・・・非常に面白い!!!・・・
チェルノブイリ立ち入り禁止区域、「ゾーン」の今 大事故から25年
2011年03月29日 17:54 発信地:チェルノブイリ/ウクライナ
【3月29日 AFP】ガンナ・コンスタンティノーバさん(77)が住む場所は1986年、世界史上最悪の原子力災害が発生したチェルノブイリ(Chernobyl)原子力発電所から18キロしか離れていない。
ソ連崩壊後、ウクライナ領となったチェルノブイリ原発周辺は「立ち入り禁止区域」に指定されている。しかし、ここには今も高齢者を中心にウクライナ人数百人が住んでいる。彼らは辛うじて生計を立てながらも「死のゾーン」という異名を挽回するかのように、驚くほど牧歌的な暮らしを送っている。
オレンジ色のスカーフを頭に巻いたコンスタンティノーバさんは、裏庭で育てた野菜を手に「チェルノブイリで十分よく暮らしているわ」と語る。「空気はきれいだし、川も近い。なにもかもが本来あるべき姿で存在してるわよ」
訪問者たちにとって、コンスタンティノーバさんの言葉は驚きだ。原発周辺30キロ圏内の立ち入り禁止地区、いわゆる「ゾーン」への訪問者は、圏内ではいかなる植物や施設にも触れず、たばこを吸ったり、屋外で飲食したりしないよう誓約書を書かされるのだ。
■「ゾーン」に住み続ける人たち
その史上最悪の原子力災害からあと1か月で25年目という時、東北地方太平洋沖地震で打撃を受けた福島の原子力発電所の危機に直面し、世界の目は再びチェルノブイリに注がれた。
チェルノブイリ周辺の汚染地区に居住してはならないという当局の禁止令に反して、立ち入り禁止区域内には高齢のウクライナ人約270人が住んでいる。当局はとうの昔に、この禁止令を徹底させる努力を止めている。コンスタンティノーバさんや住民たちは、核による破滅と隣り合わせかもしれないが、比較的「普通の暮らし」であることを誇ってもいる。日本から「死の灰」が届くかもしれないという懸念が強まっても、彼女たちの心は揺るがない。
1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所の4号炉が爆発し、致命的な放射性物質が広範囲にまき散らされた時、当時のソ連政府は半径30キロ圏内の住民13万人全員を避難させた。
しかし、住民が自宅へ戻るのを止めることはできなかった。コンスタンティノーバさんは事故から1月もしないうちに小さな木造のわが家へ戻り、以来そこから動いたことはない。「草の香りもいいし、夏にはいろんな植物が真っ盛りになるのよ。森で採れるもの、キノコやベリー類、何でも食べてるわ。放射能は感じません。トマトやキュウリ、ジャガイモも育ててます。何でも食べるし、何も心配してません」とコンスタンティノーバさん。「避難した人の多くは死んでしまったけど、私は今も生きてるわ」
事故から25年になるのを前にチェルノブイリの街は、建物を化粧し、記念式典に合わせてオープンする公園や博物館の建設を急ピッチで進めている。
■「何でも食べています、キノコもね」
「ゾーン」にいる全員が決意の固い高齢者というわけではない。
この地区内に勤務するウクライナ人7500人はシフト制で働き、彼らの給与は首都キエフ(Kiev)の平均の約2倍と言われている。そのうち約3500人がチェルノブイリ原発に雇われており、残りの半数は消防関係者、森林労働者、科学者、ゾーン内の他の事業に関わる建設労働者などである。
オレグ(Oleg)さん(30)はチェルノブイリにある国営企業で5年間働いてきたが、勤務シフトは特殊だ。「ゾーン」内で15日間働いたら、次の15日間は「ゾーン」外にある自宅で在宅勤務する。「安全面での注意は、徒歩で行ってはならない場所には徒歩で行かない、というだけ。もっとも、時々はそんな場所を歩くこともあるけどね。食べるものは何でも食べてるよ。魚や、時にはキノコだってね」。「ゾーン」内で暮らすために必要な「秘訣」は、「釣りをするときは水が溜まっている場所ではなく、流れのある場所で釣ること」だと教えてくれた。
オレグさんはガイガーカウンター(放射線測定器)を携帯していない。浴びている放射線が、政府の基準値を超えていないことは分かっているからだと言う。「毎年、体内被ばくの検査を受けてるんだ。魚やキノコを食べすぎたら、限界値は超えるかもしれないからね。一度、値が高すぎるときがあったんだ。2~3か月したらまた来るようにって医者に言われたけど、次に行ったら普通のレベルに戻っていたよ」
「ゾーン」で働くもう一人の若者、ヴィラ(Vira)さんも同じ勤務シフトだが男性の同僚よりも注意していて、地元産の食べ物は口にせず、外部から運ばれてきた食品だけを食べている。しかし、ヴィラさんでさえ何年かここで働くうちに慣れてしまい、これからも同じような注意を続けるかどうか分からないと言う。「チェルノブイリに来たときは偏見でいっぱいだった。草は踏まないようにしていたし、野菜には絶対触らないようにしてたわ。けれどそれから、チェルノブイリの放射線レベルが基準を超えていないということや、長い期間ここにいても危険はないということが分かったの」
年金生活者の夫婦、マリア・セメニュク(Maria Semenyuk)さん(73)とイワン(Ivan)さん(75)もやはり「ゾーン」内の村、パリチフ(Parychiv)に暮らす。日本の原発事故に関する情報が少ないことは、チェルノブイリの事故当時を思い出させると言う。「私たちは何も聞かされなかった。あの日は集団農場でリンゴを植えたところだったんだ。そうしたら当局から、みんなで3日間だけ避難するって言われたのさ。大変なことだなんて誰も思わなかった」。大災害だったにもかかわらず夫妻は2年後、チェルノブイリに戻った。今は森でキノコ狩りを楽しみ、地元の果実でワインさえ作り、訪れる人にグラスでふるまっている。
しかし、パリチフ村は文字通り死につつある。家々は見捨てられたまま、屋根は崩れ、第2次世界大戦の記念碑だけが村の真ん中に残っている。チェルノブイリ原発事故の前に400人が生活していたこの村に、今も暮らしているのは9人だけだ。(c)AFP/Anya Tsukanova
2011年3月31日木曜日
2011年3月30日水曜日
原発災害情報 4 -「大前研一ライブ」
「大前研一ライブ」は地上波ではなかなか放送できないニュースの本質や裏側、隠された因果関係を明らかにし、それらが個人や企業に与える影響を毎週詳しく解説するBBTチャンネルの会員制番組です。この番組の最新情報が受け取れるメルマガ登録はこちら。
http://www.lt-empower.com/mag2/mag2.asp?m=youtube
http://www.lt-empower.com/mag2/mag2.asp?m=youtube
2011年3月29日火曜日
原発災害情報 3 -「ニューヨークタイムズ」311から時系列で東北関東大震災被災地の写真を紹介
###あまりにも凄過ぎる!!!!!###
「ニューヨークタイムズ」311から時系列で東北関東大震災被災地の写真を紹介
「ニューヨークタイムズ」が、東北関東大震災の発生した3月11日からの写真を時系列で紹介しています。
▼Photos of Japan After Earthquake and Tsunami - Photographs - NYTimes.com
日本のマスメディアは報じられないような写真も数多くあります。十分にそのことを理解した上でリンクをクリックしてください。
「ニューヨークタイムズ」311から時系列で東北関東大震災被災地の写真を紹介
「ニューヨークタイムズ」が、東北関東大震災の発生した3月11日からの写真を時系列で紹介しています。
▼Photos of Japan After Earthquake and Tsunami - Photographs - NYTimes.com
日本のマスメディアは報じられないような写真も数多くあります。十分にそのことを理解した上でリンクをクリックしてください。
原発災害情報 2 -原発元設計者が米メディアで告白 「原子炉構造に欠陥あり」
原発元設計者が米メディアで告白 「原子炉構造に欠陥あり」
週刊朝日 3月28日(月)17時27分配信
福島第一原子力発電所の原子炉には重大な欠陥があった--爆発事故を起こした原子炉の設計にかかわった日米の元技術者がそろって証言を始めた。経済性を優先するあまりに小型に造ったため、冷却システムなどに余裕がなく、地震や大規模停電になると爆発しやすいという。今回の地震では、まさにその心配が現実になった可能性が高い。
現地時間で3月15日、米CNNが、米国を代表する原子炉メーカーであるゼネラル・エレクトリック(GE)の元エンジニア、デール・ブライデンボー氏のインタビューを放送した。白髪に白いひげをたくわえたブライデンボー氏は悲痛な表情でこう語った。
「福島原発の事故は私たちが想定したシナリオよりもはるかに悪い。このままだと、何千もの命が失われる可能性がある。それが怖くてたまらない」
遠い米国で、なぜ米国人に福島のことがわかるのか? 実は、ブライデンボー氏は福島第一原発の1~5号機で使われているマーク1型原子炉の原設計をした人物だった。(※型の数字はローマ数字、以下同)
今回、最初に水素爆発を起こした1号機は日本製ではない。1号機の建造が始まった1960年代、日本はまだ自力で商業用原子炉を造っていなかった。このためGEが造った。このあと2号機はGEと東芝が共同で建設し、3、4号機になってようやく東芝や日立製作所が主体で造った。炉心損傷を起こしている1~3号機はいずれも、GEの設計を基にしたものなのだ。
そしてブライデンボー氏は在職中から、このマーク1の安全性に疑念を抱き、75年に同僚2人とともにGEを退職すると、米原子力規制委員会と共同戦線を張ってマーク1の製造中止を訴えてきた。この3人は、いまでは「GEスリー」と呼ばれている。
前出の番組でブライデンボー氏はこう語っている。
「マーク1は大規模事故に耐えうるようには設計されていません。冷却システムがギリギリの容量で設計されているため、電力供給が途絶えて冷却システムが止まると、爆発を起こす危険性がある。使用済み核燃料の貯蔵プールも最新型のように自然に冷やされるタイプではないため、電気が切れるとすぐに温度が上がってしまう」
福島でも地震で冷却システムが止まり、1、3号機はいずれも格納容器の圧力が高まった。使用済み核燃料の貯蔵プールの温度が上がり、消防車などで必死に水をつぎだした。
まさに氏の指摘どおりだ。一体、このマーク1とはどんな原子炉なのか。
「マーク1が欠陥を抱えているとの米国での指摘は当時から知られていました。格納容器全体の容積が小さいため、炉心部を冷却できなくなって、圧力容器内の蒸気が格納容器に抜けると格納容器がすぐに蒸気でパンパンになってしまう。最悪の場合は格納容器が破裂してしまう心配がありました」
こう説明するのは68年から77年まで日立製作所の関連会社「バブコック日立」に勤務し、福島第一原発4号機の圧力容器などの設計に関わった田中三彦氏だ。圧力抑制プールを含めたマーク1の格納容器の容量は、新型の「マーク3」の4分の1程度しかない。
「今回、津波による電源喪失などで炉心冷却システムがすべて動かなくなったことで、格納容器が破裂しそうになりました。1号機の格納容器が8気圧になったのがそれを物語っています。運転中の格納容器は中の気体が外へ出ないように1気圧よりもすこし低くしており、設計上も約4気圧までしか耐えられないので、ものすごく大変な事態でした」(田中氏)
このため東京電力は、格納容器にある「ガス放出弁」を開けて、容器内の圧力を下げざるを得なくなった。そしてこの弁こそ、ブライデンボー氏が会社人生をかけてまで求めたマーク1の安全対策の一つだった。
「80年代後半、私の訴えの一部が認められ、圧力を逃すガス放出弁を取り付けることが義務づけられました」(ブライデンボー氏)
ガス放出弁がなければ今回、早い段階で格納容器が爆発しただろう。
しかし皮肉にも、このガス放出弁から出た放射性物質を含む蒸気のために、原発周辺の放射線濃度が上がり、作業員らが被曝している。さらに、炉内で発生した水素ガスも蒸気と一緒に出て、1号機と3号機で水素爆発を起こし、建屋を吹き飛ばした。
マーク1の欠点はこれだけではなかった。再び、田中氏が証言する。
「圧力容器に付属する再循環ポンプは、重さが数十トンもあるのに支えが不安定で、大地震時に再循環系の配管が壊れないかがよく問題になってきました。もし壊れると、ここから冷却材が格納容器へ噴き出し、『冷却材喪失事故』という悪夢になってしまうからです」
再循環ポンプは、原子炉内に発生する気泡を取り除くためのもの。最新型では圧力容器内にあるが、福島原発のような古い型では圧力容器の外にある。
「格納容器の圧力の上がり方、水素爆発の起こり方などから推測すると、とくに1、3号機では今回、冷却材喪失事故が起きたように思えます」(田中氏)
国はこれまで、格納容器の欠点にどれだけ向き合ってきたのだろうか?
「ガス放出弁について当初は『そんなバカな。格納容器は放射性物質が外に漏れないようにするものだ』としばらく検討していました。設置されたのは90年代に入ってからでした」(同)
そもそも、40年以上前に設計された原子炉を今も使っていること自体どうなのか。田中氏は言う。
「日本の原発には法的な寿命がありません。設計者は耐用年数を40年としてきました。1号機は40年を過ぎていますが、日本は米国をまね、90年代に入って最長60年まで使えるとの見解を示しました」
マーク1のコンパクトな設計については、ロシアの専門家は、
「安全性よりも経済性を優先した結果ではないか」
と、指摘している。ブライデンボー氏もCNNのインタビューで、こう話す。
「社員だった当時、上司にマーク1の廃炉を嘆願すると、上司は『そんなことをしたら、わが社の原子炉部門だけでなく、会社自体がなくなってしまう』と聞き入れられなかった」
被災から11日後の22日に、福島原発にはやっと電源が回復し、温度計が復活した。1号機の圧力容器の温度が設計限界の309度を超える400度だったことがわかり、東電はあわてて炉内への注水を増やすことにした。しかし、注水を増やすと、それによって発生する蒸気で圧力容器内の圧力が格納容器に抜けて、再び格納容器が爆発する危険が高まることになる。
小さかった格納容器という欠陥が、今も福島原発を苦しめている。
◆現場作業員が語る「あのボロい原発が・・・」◆
地震が起きた瞬間、私がいた福島第一原発の建屋では電気が消え、上から電球などいろいろなものが落ちてきました。サイレンが鳴って、「外に避難してください」というアナウンスが聞こえ、大勢の人たちが駆けだしているのが見えました。みんな口々に、
「爆発するんじゃないか」
「放射能にやられるかも」
とさけび、原子炉から離れた事務本館に殺到。パニックになりました。最初は「落ち着いて」と制止していた警備員も、いつの間にか一緒に走っていました。
本館で自分の車のカギを取って逃げようとしていると、おそらく東京電力の関係者が、
「帰るかどうか、もう勝手に自分で判断してくれ」
と声を張り上げていました。もっとも、その本人がだれよりも早く逃げる態勢を整えていたのはびっくりしました。
車にたどりつき、
「津波らしい」
「すぐそこまで来ているぞ」
という声を聞きながらアクセルを踏みました。車を少し走らせ、高台で原発の方向を振り返ると、まさに津波が原発に襲いかかっていました。
これで福島第一は終わりだ、あのボロい原発が倒壊して放射能が漏れたらどうなる--と思うと、背筋がぞっとした。かなり頑丈な建屋が水素爆発で無残に吹き飛んだ姿を報道で見たとき、この考えは間違っていないと確信しました。
地震の翌日だったか、施設の地下で働いていた作業員2人が行方不明だと聞きました。一人は顔見知りでした。放射能の餌食になっていないか、本当に心配です。
その後、友人経由で東電の下請け会社からメールが来ました。
〈現在の報道は非常にセンセーショナルで、当社が確認したところでは、そこまで深刻ではないとの回答を東電サイドから得ています。今後、多数の方々のお力を必要といたします。これまでのベースから日給3倍をめどにご賛同をいただける方々を募集しております〉
3倍なら日給5万円です。より危険な区域を担当したり、経験が豊富だったりすれば10万円という話も聞きました。「もしものときに人手がいるから登録だけでもどうかな」という誘いもあります。
しかし、応募した人はいないとか。下請け会社の話だと、原子炉への海水注入を迫られた際に東電側は、
「この原発にどれだけカネを使っているのか、知っているのか。原発がなくなれば、お前らの仕事もなくなるぞ。海水を入れて廃炉にするなんて、とんでもない」
と言い放ったというぐらいの会社ですから。
(本誌取材班=本誌・堀井正明、三嶋伸一、大貫聡子、永井貴子/今西憲之、シャノン・ヒギンス)
週刊朝日 3月28日(月)17時27分配信
福島第一原子力発電所の原子炉には重大な欠陥があった--爆発事故を起こした原子炉の設計にかかわった日米の元技術者がそろって証言を始めた。経済性を優先するあまりに小型に造ったため、冷却システムなどに余裕がなく、地震や大規模停電になると爆発しやすいという。今回の地震では、まさにその心配が現実になった可能性が高い。
現地時間で3月15日、米CNNが、米国を代表する原子炉メーカーであるゼネラル・エレクトリック(GE)の元エンジニア、デール・ブライデンボー氏のインタビューを放送した。白髪に白いひげをたくわえたブライデンボー氏は悲痛な表情でこう語った。
「福島原発の事故は私たちが想定したシナリオよりもはるかに悪い。このままだと、何千もの命が失われる可能性がある。それが怖くてたまらない」
遠い米国で、なぜ米国人に福島のことがわかるのか? 実は、ブライデンボー氏は福島第一原発の1~5号機で使われているマーク1型原子炉の原設計をした人物だった。(※型の数字はローマ数字、以下同)
今回、最初に水素爆発を起こした1号機は日本製ではない。1号機の建造が始まった1960年代、日本はまだ自力で商業用原子炉を造っていなかった。このためGEが造った。このあと2号機はGEと東芝が共同で建設し、3、4号機になってようやく東芝や日立製作所が主体で造った。炉心損傷を起こしている1~3号機はいずれも、GEの設計を基にしたものなのだ。
そしてブライデンボー氏は在職中から、このマーク1の安全性に疑念を抱き、75年に同僚2人とともにGEを退職すると、米原子力規制委員会と共同戦線を張ってマーク1の製造中止を訴えてきた。この3人は、いまでは「GEスリー」と呼ばれている。
前出の番組でブライデンボー氏はこう語っている。
「マーク1は大規模事故に耐えうるようには設計されていません。冷却システムがギリギリの容量で設計されているため、電力供給が途絶えて冷却システムが止まると、爆発を起こす危険性がある。使用済み核燃料の貯蔵プールも最新型のように自然に冷やされるタイプではないため、電気が切れるとすぐに温度が上がってしまう」
福島でも地震で冷却システムが止まり、1、3号機はいずれも格納容器の圧力が高まった。使用済み核燃料の貯蔵プールの温度が上がり、消防車などで必死に水をつぎだした。
まさに氏の指摘どおりだ。一体、このマーク1とはどんな原子炉なのか。
「マーク1が欠陥を抱えているとの米国での指摘は当時から知られていました。格納容器全体の容積が小さいため、炉心部を冷却できなくなって、圧力容器内の蒸気が格納容器に抜けると格納容器がすぐに蒸気でパンパンになってしまう。最悪の場合は格納容器が破裂してしまう心配がありました」
こう説明するのは68年から77年まで日立製作所の関連会社「バブコック日立」に勤務し、福島第一原発4号機の圧力容器などの設計に関わった田中三彦氏だ。圧力抑制プールを含めたマーク1の格納容器の容量は、新型の「マーク3」の4分の1程度しかない。
「今回、津波による電源喪失などで炉心冷却システムがすべて動かなくなったことで、格納容器が破裂しそうになりました。1号機の格納容器が8気圧になったのがそれを物語っています。運転中の格納容器は中の気体が外へ出ないように1気圧よりもすこし低くしており、設計上も約4気圧までしか耐えられないので、ものすごく大変な事態でした」(田中氏)
このため東京電力は、格納容器にある「ガス放出弁」を開けて、容器内の圧力を下げざるを得なくなった。そしてこの弁こそ、ブライデンボー氏が会社人生をかけてまで求めたマーク1の安全対策の一つだった。
「80年代後半、私の訴えの一部が認められ、圧力を逃すガス放出弁を取り付けることが義務づけられました」(ブライデンボー氏)
ガス放出弁がなければ今回、早い段階で格納容器が爆発しただろう。
しかし皮肉にも、このガス放出弁から出た放射性物質を含む蒸気のために、原発周辺の放射線濃度が上がり、作業員らが被曝している。さらに、炉内で発生した水素ガスも蒸気と一緒に出て、1号機と3号機で水素爆発を起こし、建屋を吹き飛ばした。
マーク1の欠点はこれだけではなかった。再び、田中氏が証言する。
「圧力容器に付属する再循環ポンプは、重さが数十トンもあるのに支えが不安定で、大地震時に再循環系の配管が壊れないかがよく問題になってきました。もし壊れると、ここから冷却材が格納容器へ噴き出し、『冷却材喪失事故』という悪夢になってしまうからです」
再循環ポンプは、原子炉内に発生する気泡を取り除くためのもの。最新型では圧力容器内にあるが、福島原発のような古い型では圧力容器の外にある。
「格納容器の圧力の上がり方、水素爆発の起こり方などから推測すると、とくに1、3号機では今回、冷却材喪失事故が起きたように思えます」(田中氏)
国はこれまで、格納容器の欠点にどれだけ向き合ってきたのだろうか?
「ガス放出弁について当初は『そんなバカな。格納容器は放射性物質が外に漏れないようにするものだ』としばらく検討していました。設置されたのは90年代に入ってからでした」(同)
そもそも、40年以上前に設計された原子炉を今も使っていること自体どうなのか。田中氏は言う。
「日本の原発には法的な寿命がありません。設計者は耐用年数を40年としてきました。1号機は40年を過ぎていますが、日本は米国をまね、90年代に入って最長60年まで使えるとの見解を示しました」
マーク1のコンパクトな設計については、ロシアの専門家は、
「安全性よりも経済性を優先した結果ではないか」
と、指摘している。ブライデンボー氏もCNNのインタビューで、こう話す。
「社員だった当時、上司にマーク1の廃炉を嘆願すると、上司は『そんなことをしたら、わが社の原子炉部門だけでなく、会社自体がなくなってしまう』と聞き入れられなかった」
被災から11日後の22日に、福島原発にはやっと電源が回復し、温度計が復活した。1号機の圧力容器の温度が設計限界の309度を超える400度だったことがわかり、東電はあわてて炉内への注水を増やすことにした。しかし、注水を増やすと、それによって発生する蒸気で圧力容器内の圧力が格納容器に抜けて、再び格納容器が爆発する危険が高まることになる。
小さかった格納容器という欠陥が、今も福島原発を苦しめている。
◆現場作業員が語る「あのボロい原発が・・・」◆
地震が起きた瞬間、私がいた福島第一原発の建屋では電気が消え、上から電球などいろいろなものが落ちてきました。サイレンが鳴って、「外に避難してください」というアナウンスが聞こえ、大勢の人たちが駆けだしているのが見えました。みんな口々に、
「爆発するんじゃないか」
「放射能にやられるかも」
とさけび、原子炉から離れた事務本館に殺到。パニックになりました。最初は「落ち着いて」と制止していた警備員も、いつの間にか一緒に走っていました。
本館で自分の車のカギを取って逃げようとしていると、おそらく東京電力の関係者が、
「帰るかどうか、もう勝手に自分で判断してくれ」
と声を張り上げていました。もっとも、その本人がだれよりも早く逃げる態勢を整えていたのはびっくりしました。
車にたどりつき、
「津波らしい」
「すぐそこまで来ているぞ」
という声を聞きながらアクセルを踏みました。車を少し走らせ、高台で原発の方向を振り返ると、まさに津波が原発に襲いかかっていました。
これで福島第一は終わりだ、あのボロい原発が倒壊して放射能が漏れたらどうなる--と思うと、背筋がぞっとした。かなり頑丈な建屋が水素爆発で無残に吹き飛んだ姿を報道で見たとき、この考えは間違っていないと確信しました。
地震の翌日だったか、施設の地下で働いていた作業員2人が行方不明だと聞きました。一人は顔見知りでした。放射能の餌食になっていないか、本当に心配です。
その後、友人経由で東電の下請け会社からメールが来ました。
〈現在の報道は非常にセンセーショナルで、当社が確認したところでは、そこまで深刻ではないとの回答を東電サイドから得ています。今後、多数の方々のお力を必要といたします。これまでのベースから日給3倍をめどにご賛同をいただける方々を募集しております〉
3倍なら日給5万円です。より危険な区域を担当したり、経験が豊富だったりすれば10万円という話も聞きました。「もしものときに人手がいるから登録だけでもどうかな」という誘いもあります。
しかし、応募した人はいないとか。下請け会社の話だと、原子炉への海水注入を迫られた際に東電側は、
「この原発にどれだけカネを使っているのか、知っているのか。原発がなくなれば、お前らの仕事もなくなるぞ。海水を入れて廃炉にするなんて、とんでもない」
と言い放ったというぐらいの会社ですから。
(本誌取材班=本誌・堀井正明、三嶋伸一、大貫聡子、永井貴子/今西憲之、シャノン・ヒギンス)
2011年3月27日日曜日
原発災害情報 -原子力保安院の大嘘暴露!
日本の官僚について傾聴に値する内容をたくさん含む非常に面白い話である。
原発トラブル情報 -原子力保安院の大嘘暴露!(関東エリア未放送)
武田邦彦教授が緊急インタビューに応じる。
http://www.youtube.com/watch?v=gW8pfbLzbas#at=14&fmt=35
武田邦彦・中央大学教授のプロファイルと最近の著作。
原発トラブル情報 -原子力保安院の大嘘暴露!(関東エリア未放送)
武田邦彦教授が緊急インタビューに応じる。
http://www.youtube.com/watch?v=gW8pfbLzbas#at=14&fmt=35
武田邦彦・中央大学教授のプロファイルと最近の著作。
2011年3月26日土曜日
トリウムを燃料とする原発について調べる -グローバル・ヒーティングの黙示録
なかなか面白いページを発見した。内容は極めて含蓄に富んでいる。
グローバル・ヒーティングの黙示録
第二章 非再生エネルギー発電の衰退
トリウムを燃料とする原発
<トリウム炉の原理>
地殻に含まれる トリウムはトン当たり8グラム、ウラニウムは2グラムで資源の量ではウラニウムの4倍あります。ところがウラニウムは大部分が海水に溶けてしまっています。トリウム232は 陸地に閉じ込められています。そしてレアアース(希土類)採取の残渣として世界に数十万トンの在庫があります。今の世界の原発と同じ規模(4億kW)を今世紀末まで動かせる量です。
というわけでトリウム炉が今世界で見直されています。オーストラリアのマイケルジェフリー総督は2009年5月、「持続可能なエネルギー源としてトリウム利用を考えるべきだ、トリウムは核兵器を生まないからだ」と述べま した。2009年10月にドイツで開催された気候変動専門家会議でも議論され、2009年12月の日中印温暖化専門家会議の声明文にも明記されております。米国民主党のリード上院議員が2億5000万ドルのトリウム燃料研究開発費支出法案を提出しました。チェコでも2013年から溶融炉実験炉の建設計画があるということです。水爆の父、エドワード・テイラーも亡くなる前、トリウム溶融炉を支持していたといいます。インドでは固体燃料を使う増殖炉にトリウムを混ぜる方式を研究しています。
トリウム232は90個の陽子を持っています。 トリウムは自身では核分裂しませんが熱中性子を拾って核分裂できるウラニウム233になります。一挙にウラニウム233に転換するのではなく、まず中性子を拾ってトリウム233となり、これがベータ崩壊して、プロトアクチニウム233となり、更にベータ崩壊して、ウラニウム233となります。こうして生成したウラニウム233をトリウムと混合して燃料とする核分裂炉です。燃料再処理が必要となります。そしてこのウラニウム233は核分裂して余剰の中性子を生みますので熱中性子炉で連鎖反応が可能となります。稀少な資源であるウラニウム235の濃縮なしに、また高速炉なしに無限のエネルギーが得られます。
232Th + n → 233U; 233U + n → fission prod. + 2.3n
ただこの反応で余剰の中性子は0.3しかありませんので、中性子損失があると連鎖反応が継続しません。この追加的中性子源としてウラニウム235またはプルトニウム239を加えるか中性子源として陽子加速器を使うことが考えられます。カール・ルビアは加速器を提唱しています。しかし加速器が高価なことと、電力消費が多く、多分経済的ではないだろうと考えられます。
この反応は強い放射能を持つ半減期30年程度の核分裂物質ストロンチウム90とかセシウム137を生成しますが、半減期の長いプルトニウムなどのアクチノイドの生成が少ないというメリットがあります。
グローバル・ヒーティングの黙示録
第二章 非再生エネルギー発電の衰退
トリウムを燃料とする原発
<トリウム炉の原理>
地殻に含まれる トリウムはトン当たり8グラム、ウラニウムは2グラムで資源の量ではウラニウムの4倍あります。ところがウラニウムは大部分が海水に溶けてしまっています。トリウム232は 陸地に閉じ込められています。そしてレアアース(希土類)採取の残渣として世界に数十万トンの在庫があります。今の世界の原発と同じ規模(4億kW)を今世紀末まで動かせる量です。
というわけでトリウム炉が今世界で見直されています。オーストラリアのマイケルジェフリー総督は2009年5月、「持続可能なエネルギー源としてトリウム利用を考えるべきだ、トリウムは核兵器を生まないからだ」と述べま した。2009年10月にドイツで開催された気候変動専門家会議でも議論され、2009年12月の日中印温暖化専門家会議の声明文にも明記されております。米国民主党のリード上院議員が2億5000万ドルのトリウム燃料研究開発費支出法案を提出しました。チェコでも2013年から溶融炉実験炉の建設計画があるということです。水爆の父、エドワード・テイラーも亡くなる前、トリウム溶融炉を支持していたといいます。インドでは固体燃料を使う増殖炉にトリウムを混ぜる方式を研究しています。
トリウム232は90個の陽子を持っています。 トリウムは自身では核分裂しませんが熱中性子を拾って核分裂できるウラニウム233になります。一挙にウラニウム233に転換するのではなく、まず中性子を拾ってトリウム233となり、これがベータ崩壊して、プロトアクチニウム233となり、更にベータ崩壊して、ウラニウム233となります。こうして生成したウラニウム233をトリウムと混合して燃料とする核分裂炉です。燃料再処理が必要となります。そしてこのウラニウム233は核分裂して余剰の中性子を生みますので熱中性子炉で連鎖反応が可能となります。稀少な資源であるウラニウム235の濃縮なしに、また高速炉なしに無限のエネルギーが得られます。
232Th + n → 233U; 233U + n → fission prod. + 2.3n
ただこの反応で余剰の中性子は0.3しかありませんので、中性子損失があると連鎖反応が継続しません。この追加的中性子源としてウラニウム235またはプルトニウム239を加えるか中性子源として陽子加速器を使うことが考えられます。カール・ルビアは加速器を提唱しています。しかし加速器が高価なことと、電力消費が多く、多分経済的ではないだろうと考えられます。
この反応は強い放射能を持つ半減期30年程度の核分裂物質ストロンチウム90とかセシウム137を生成しますが、半減期の長いプルトニウムなどのアクチノイドの生成が少ないというメリットがあります。
2011年3月25日金曜日
http://www.kojima-net.jp/ , http://blog.kojima-net.com/ 接続不能トラブル -3
午後、http://blog.kojima-net.com/ への接続ができるようになった。
リンククラブホスティング X からきた回答のメールによると次の通りであった。 (昨日 22:07 http://blog.kojima-net.com/ への接続が不能であることを再度リンククラブホスティング X へ質問のメールをしていた。)
blog.kojima-net.jp はLPPのサービスに関連付けされていましたが、
DNSがLHXへ切り替わったため、blog.kojima-net.jp が解除されました。
LHXコントロールパネル内のDNS設定で再度blog.kojima-net.jp を
設定しましたのでもう暫くすると表示されるようになります。
リンククラブホスティング X からきた回答のメールによると次の通りであった。 (昨日 22:07 http://blog.kojima-net.com/ への接続が不能であることを再度リンククラブホスティング X へ質問のメールをしていた。)
blog.kojima-net.jp はLPPのサービスに関連付けされていましたが、
DNSがLHXへ切り替わったため、blog.kojima-net.jp が解除されました。
LHXコントロールパネル内のDNS設定で再度blog.kojima-net.jp を
設定しましたのでもう暫くすると表示されるようになります。
登録:
投稿 (Atom)